答案用紙盗難事件~タロット蛍子~/◆月曜日◆

小説

人は見てはいけないものを見たときに、どうすればいいのだろう?
見たくないものを見たときに、視線を外してしまう人の気持ちが分かった気がする。
生徒会室に入った途端、目に入った光景に吉野はげんなりとした。
視線を外そうとして思いなおす。このままにしておくわけにもいかない。そのかわり、「ケイ」と声を掛けた。
「吉野」
振り返ったのは、美少女占い師にして、友人の「タロット蛍子」だ。
ひらひらと手を振ってくる。
その隣で優雅にウチワを操っているのは、この部屋の主にして生徒会長の守成だった。
「何やってるの」
あきれて問いただすが、蛍子は素知らぬ顔で、「何が」と聞き返した。
吉野は口を開こうとして思いなおし、「三杉さんは」と訊いた。
「多可ちゃんなら、生徒指導室」
思ったとおりの答えが返ってくる。
(やっぱり。三杉さんがいたら、いくら何でもこんなことにはなってないもの、ね)
生徒会室で会議机を間に挟んで二人は座っていた。それはいいのだ。それは。
だが、なぜか守成の手にはウチワが持たれ目の前の美少女にさっきから風が送られ続けている。
(いくらなんでも、生徒会長を扇風機代わりにするなんて)
吉野はコメントを差し控え「大石くんは」と訊いた。
いつも一緒にいる大石もなぜかいない。この部屋には、蛍子と守成の二人っきりだ。
せめて大石がいれば、蛍子を止めてくれたのだろうが・・・・。
「大石なら、コンビニ。おやつ買いに行ってる」
蛍子が腕を組み替えながら応える。頬杖をついた手にさらっと髪が零れる。
艶々のストレートヘアーが、まだ強い九月の陽射しに反射してとても綺麗だ。
確かに彼女に頼まれればウチワの一つも仰いでやろうという気になるのかもしれない。
「ただいま」
ちょうどその時、後ろから声が掛かった。
資料室の扉から入ってきたのは、三杉と大石だ。
「そこで一緒になったの。吉野ちゃん来てたの」
三杉が荷物で手が塞がっている大石のためにドアを開けてやりながら、吉野に声を掛けた。
「はい。たった今」
「そう」と頷いた三杉は、吉野の後ろにいる守成と蛍子を見て顔色を変えた。
「何してるんですか」
「なにって、」
「何が」
突然の三杉の剣幕に押され、二人して茫然と問い返す。
さっきまでの自分と同じ心中であろう三杉のことを思って、吉野はため息を付いた。
どうせ二人とも、分かってないのだ。きっと。
「どうして会長がウチワなんて、持っているんですか」
三杉が眉間の皺を揉みながらいう。
「ああ、これ」
守成は笑って、「けいこが暑いというからね」と、仰いでいたとあっさりという。
「会長~」
三杉は拳を握り締め、
「そんなことする暇があったら、仕事してください」
ウチワじゃなくて、ペンを持って下さい。ペンを。というと、キッと守成をにらみつけた。
守成が肩を竦めると、三杉は更に守成に詰め寄り、目の前で人差し指をたてると、
「大体、会長はケーコちゃんに甘すぎます。これ以上甘やかしてどうするんです」
と、キッパリと言い放った。
「三杉にいわれるとは・・・・」
ぶつぶつと小声で文句をいう守成を、三杉はひとにらみで黙らせる。
「ケーコちゃん」
それからクルリと振り向いて蛍子をみる。
「だって、暑いんだもん」
蛍子が三杉に怒られることを察知して、甘えてみせる。
「暑いのは当たり前です。9月に入ったとはいえ、湿気も多いし」
と、三杉はにべもない。
蛍子は顔をしかめ「我慢できなかったの」と呟く。
三杉は肩の力を抜き、ふぅと息を付くと、「エアコンを入れたらいいでしょ」という。
「文化祭が終るまででしょ。エアコンの使用期間」
規則を破ったら、三杉に叱られると思っていたらしい。
「そうだけど。会長がウチワで仰いでいて、仕事がはかどらない方が困るわ」
三杉のお許しを貰った蛍子が嬉々として、エアコンを付けにいく。
「まったく、ただでさえ忙しいのにこれ以上仕事を溜めないでください。本当なら今頃、引継ぎの準備に入らなくちゃいけないんですからね」
生徒会の次期会長を選出しなくてはいけない時期がきていることを、三杉が指摘する。
「まあまあ、」
ウチワ片手に守成がそんな三杉を宥める。
惰性で仰ぎ続ける守成に、蛍子がシッシッと手を振り「もういい」と断る。
犬を追い払うような仕草に、吉野は注意しようとしたが、守成本人が気にしていないようなのでそのままにした。
「エアコンの方が涼しい」
などと、罰当たりなことを言っている蛍子をみても、守成は涼しい顔で笑っている。
(会長って、ケイに甘いわよね)
いまさらながら、そんなことを考える。
蛍子が図に乗る原因を垣間見た気がした。
もっとも三杉といい、大石も結局は蛍子に甘いのだから、守成だけが悪いわけではないのだが。
そういう自分も蛍子に甘いことを、吉野自身は自覚していない。
「そういえば、何の話だったの。福田先生」
蛍子が大石の買ってきたお煎餅を頬張りながら、三杉に尋ねる。
「ああ、そのこと」
三杉は声をひそめると「実は大変なのよ」と、囁いた。
「大変って、何が」
蛍子が身を乗りだして訊く。
「さっき、福田先生に呼ばれて、生徒指導室に行ってきたの」
まず三杉が吉野に説明する。
それで二人だけだったのか、と納得する吉野に、三杉は笑って、
「会長も呼ばれてたんだけど、ここにケーコちゃん一人にするわけにもいかないし。それに、仕事が溜まっていたから」
と、守成りにらみつける。
「悪かったよ」と、頭を下げる守成に溜飲を下げたのか、三杉はあっさりと続きを教えてくれた。
「あのね、この話はまだ一部の先生方しか知らない内容なんだけど」
という前置きから始まった話はとんでもなかった。

「答案用紙が盗まれた!?」
蛍子が素っ頓狂な声をだす。
「正確にはテスト用紙ね」
テスト問題の載った。と、三杉が冷静に訂正する。
「そんなのどっちでもいいわよ。盗まれたってどういうことよ。ウチはセキュリティ完璧でしょ」
蛍子が焦れて、三杉に詰め寄る。
「もちろん、そうよ。だからこそ先生方もテスト問題の保管がずさんになったんでしょうね」
三杉の話によると、テスト問題を作成していた教師が家に持ち帰らず、職員室の自分の机に入れたまま帰宅したところ、翌朝、鍵を――机の引出の、こじ開けられていたそうだ。
もちろんテスト問題は紛失していた。
「それじゃあ、」
「そう、テスト問題は盗まれていたっていうわけ」
三杉が手元の書類をまとめながら、蛍子をみる。
「ねぇ、それじゃあテストどうなるの」
蛍子が身を乗りだして三杉に訊いた。
「作り直すことになるでしょうね。当然」
三杉が腕組みをして応えた。
「そっか、やっぱりテストはあるのね」
「当たり前でしょ」
とんでもない蛍子の言葉に吉野が呆れて、ため息を付く。
「盗まれたのって、2年のテストなんでしょう」
「ええ、今度の学年テストよ。数学。恩田先生が作られたの」
「ふ~ん。恩田ね。確か三竹が作る番じゃなかった」
教師を呼び捨てにする蛍子を叱ろうとして三杉は思いなおした。
「そうだったんだけど。三竹先生は、急用でハワイに行かれて、それで恩田先生がテスト問題を作ることになったのよ」
「ハワイ!何それ。ずるーい」
三杉の言葉に、蛍子が即座に反応する。
「ハワイっていっても、遊びに行ったわけじゃないのよ。お母様が病気だとかで」
三竹先生のお母様はハワイに住んでいらっしゃるの。と、三杉が説明してやる。
「なんだ」
それは大変ね。と、あっさり蛍子は納得した。
吉野は内心ほっとする。蛍子は何を理由に騒ぎ出すか分からないからだ。
「まあ、大変な話には違いないけど、先生方がなんとかするでしょ。私たちには関係ないわ」
この時、三杉の「関係ない」という言葉に異議を挟む者はいなかった。
まさか、直接自分たちに関わってこようとは、誰も――もちろん、「タロット蛍子」も知らなかったのである。

◆水曜日◆ 1 へ続く)